皆さんはじめまして、社長の鷲見です。
遅まきながらひだまりほーむもブログを立ち上げまして、いきなり大勢でアタックしていくこととなりました。
皆さんには是非ともお付き合い願っていろいろなご意見もいただきたいと考えております。どうかよろしくお願いいたします。
まずは私自身の紹介からスタートします。
エアパスグループとの出会いひだまりほーむを始めたのは平成10年で当初は「普通の工務店」のスタイルで、リフォームも含め「なんでも」やる鷲見製材住宅事業部としてスタートしたわけです。平成15年にエアパスグループの野崎進社長(四季工房)と出会いその経営、施工、デザインそして機能的で究極の省エネ住宅「エアパスソーラ」の事業展開を図るようになりました。
90年の歴史 元々祖父の代から製材を中心に80年以上事業を行なってきましたが、戦争という不幸な時代、「商売」が出来ない戦後の時代を乗り越えて「親父たちはよくここまで続けてきたな」とつくづく思います。
私が小学校のころ(昭和30年代)小学校や公民館といった公共施設も請負い、仕事がないときでも我が家の周りは活気があったような気がします。大工小屋では大勢の大工が鉋やノミを使って刻み、材木が山のようにあり、その傍でよく遊んだものです。出入りしている左官、屋根板金、電気屋といった職人さんが「一杯飲む時」大人に混じって喜んでいました。(お酒を注いだりしてサービス。本当はおこずかいをもらうため!?)
働く場所、現金収入がない時代には「材木を商う」ことは地域の経済にとって重要な産業でした。「昔木挽きで働かせてもらった」「市っあが自転車で朝人を集めて山へ切り出しにいったものだ(電話もない時代自転車は重要な交通手段、因みに祖父は大島村では一番に乗っていたそうです)」何人もの地域の古老から聞かされました。
「家つくり」の原点オガ粉や鉋屑、木の切れそして腰に挿す棒切れ(チャンバラの必需品)近所の子供の遊び場所。「木」をつかった遊び、そして夏の暑さの中でも冬の大雪の中でも、働き通す職人の姿は今でも物づくり、「家作り」の原点になっています。
まだ小学校へ入る前だったと思いますが、母方の祖父の自転車に乗せてもらい「越佐山」へ杉の苗を植えにつれていってもらった記憶があります。小学校でも下刈りに行って蜂に刺されたとか「山の仕事」を子供が手伝うのは当たり前の時代でした。高校時代は軽トッラク(16歳から軽自動車は運転できた)で「アルバイト」で稼ぎ高校生の割には「羽振り」がよく「段取り・仕事カイショ」はこのころ「勉強」したような気がします。
私は1950年生まれですが夢や「野望」を持ちひたむきに努力すれば報われる。そんな時代感覚を持つ世代です。ところが今の時代はそんなわけには行きません。いくら「事業」として位置づけ取り組んでも「市場」から見放されたり顧客ニーズがなければ商品も「事業」も売れないし頓挫します。「戦略」を立てる。そして戦術を練る。ひたむきに執念を持って取り組む。満足と感動をお客様に持ってもらう事業。それが私の事業スタイルであり、「家作り」の原点になっています。 (この後続編はあります。乞うご期待!!)