
立派なゴーヤをもらいました。野菜づくりの名人のクニトーのおじいさんのもの。 とにかく大きいのが得意。どうしてこんな立派なのが出来るのだろうか! 部長の三海さんにもおすそ分け。奥さんは沖縄生まれだし・・・ね。

というので、今晩の夕食はゴーヤ入りホルモンとなりました。
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2007年8月


というので、今晩の夕食はゴーヤ入りホルモンとなりました。

8月25日揖斐川町の上棟後ちょうど1カ月のT様邸に、
県の県産材流通課主催、「ぎふの木で夢の家づくり講座」参加の
バスツアーご一行様が住宅の構造部分の見学においでになりました。
大変暑い日だったにもかかわらず、皆さんとても熱心にご覧いただきました。
社長がひだまりの家の構造材はほぼ100%県産の木が使用してあることなどを説明しています。
さすがに、既に2回の講座を受講後の方ばかりで、滞在時間も長く、この杉の桁が隠れてしまうのはもったいないなどの声も聞かれました。

T様の奥様には、お茶をいただいたり、うちわまで用意くださったりでお世話になり大変ありがとうございました。

社長が今年の春から百姓デビューしました。
昨年おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃん一人では畑が大変というので、新しい耕うん機を購入してご覧のように日曜百姓にチャレンジしています。かぼちゃ畑だったところを今度は何を植えるのでしょうか。もっぱらそのあたりは母の意向のままに、親孝行な社長なのです。
最初、かなり広い畑を耕して「畝」をつくった時には本当に驚いて「たいしたもんだ。やっぱりさすが男だわ。男って字は田んぼの力だもんねえ」と言ってほめました。会社の仕事の合間をぬってさっさとやっていくところは、本当に感心します。
私はといえば、毎日のように収穫されてウッドデッキにどっさり置いてある、トマト・なす・きゅうり・ブロッコリー・レタス・ピーマンなどをいただいて、調理のほうにまわるばかりですが、とても頭がさがります。ありがとうおばあちゃん。
ひだまりのスタッフもこの前には、じゃがいも掘りにやってきました。おばちゃんの名前をとって(のぶ)、NOVUファームと言っては、ちょくちょく岐阜まで届く野菜をみんな楽しみにしています。

今日は所用で八幡まで出かけました。
いつも行く大手町の文房具屋さんの隣りは下駄屋さん。
去年のNHKの日本の夏祭りに出演したお店。奥さんが下駄をつくっていらっしゃるというので、ちょっと有名になりました。
いつもよく行っている所なのに思わず足をとめてしまいました。
踊りちょうちんに季節の野の草花。もうススキもさりげなく生けてあります。
郡上踊りの行灯と軒からは下駄やわらじが下がって、町民が読んだ俳句を掛けて、風情のあるしつらえです。
私もこのお店で何年かに一度は踊り用に下駄を新調します。

こんにちは!郡上本社の裏口を固める事務所犬、名前はトラです。
マメ柴犬の黒でとってもハンサムボーイなのです。
親バカかもしれませんが、
本当にこの種類の子でトラよりいい男は見たことがありません。
時に役に立って大声で吠えて不審者の来訪を知らせるのですが、
ほとんどがハズレです。ハズレでいいのよ、トラ。
人が集まって何か(飲み会など)をやりそうだなという気配を察知すると、とにかく参加したがり、参加します。
今はお盆がすんでみんながいなくなって、寂しそうに普段の生活に戻りました。

製材スタッフの畑中さんです。郡上市大和町生まれ。生粋の郡上人。
力持ちでなんでもニコニコとやっていく頼りになるひとです。
今日は夕立が去った後の木材置き場の、ナント植込の手入れをやっていました。
もとも樹木にはくわしく、これはやっぱ選定をしてやらないとダメだなと言いながら、汗びっしょりです。秋になればキノコについてはちょっとウルサイくらいですから、植込みの手入れくらいはお手のものと言ったところでしょうか。
真夏の作業なのに冬の雪がこいを兼ねた囲みを作ろうとしています。雪国はこんな心配もしなければなりません。
お客様を迎えるのに少し気になっていた所。すっきりときれいになりました。
このごろの製材スタッフは工場周辺や倉庫などをきれいにして、「5S」(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)に意欲を燃やしているようです。がんばっています!!

OB感謝祭が楽しく終わりました。
参加くださったOBの皆様ありがとうございました。
さて、明けて月曜日。晴れ。
この写真はなにでしょうか?。・・・そうです。流しそーめんに使ったおわんです。
来年のためにきれいに洗って干しています。
こういう後始末をする人はエライ!!。
でも色がきれいで、被写体としてはいい感じです。パチリ。

8月18日8時。
白鳥本社製材部朝礼。
お盆中いつもに増して暑かったと話しながら朝礼が始まりました。
休み中英気を養ったはずだ。健康に気をつけて残暑を乗り切っていこうと社長のあいさつがありました。
明日のOB感謝祭のため、製材部はフル回転で準備にかかります。


お盆も終わりました。
家族や友人とのゆっくりとした語らいや、いっしょにとる美味しいお酒とごちそう。
今年は家族も増えて一段と楽しくすごしました。
13日にはお仏壇の前に皆で集まりお経をあげました。導師は社長でした。
お墓にお参りするときに、小さい孫はおおばあちゃんから新しい小さい数珠をもらいしっかりと握っていました。
たくさんの野菜とスイカと流しソーメンとやきとり。金魚すくいや徹夜で踊る白鳥踊りのにぎわいなど子供達にとって全部がいい思い出になることでしょう。

盆明けのOB感謝祭で流しソーメンを楽しんでいただこうと、製材の長沼さん畑中さんが切り出してきた太ーい青竹。この青竹と格闘している写真はご存知社長です。どうやって割るの?まあ見とれ。でも持っててくれる。
まずナタでコツンとやると不思議なくらい簡単に割れ、その割れ目に矢を差し込んでカナヅチでコンコンたたいて、順繰りに下に割っていきました。お見事!。
けっこううまいやないのとほめる。顔を見ると滴り落ちる汗が・・・。
はあーといって立ち上がったところをパチリ。
ちなみに割る前の青竹はこんなんだったんですよ。


Mさんはかれこれ2年まえに本社のある白鳥町でエアパスの家を建てられたひだまりのOBさんです。夏休みに入ったある日、親子で「
あのー工作に使う木切れをもらいたいんだけどいいかな~」と来社。どうぞどれでも持っていって。
そして今回で3回目。苦戦しているのかな?と思いながら、また立ち話。Mさんは会うといつもいつもにこにこ
本当にいいお父さんだ。イスの背のここんとこがねもう少し長めにしないと・・・と木を物色。息子くんがコンテナの上に乗っかってて長い木を見つけ、そばにおちていた栗のイガをボールにしてとうとう二人でバッテングをはじめてしまった。ほんとに仲のいい楽しい親子さんです。
Mさんの話。今日も暑かったね~。でも八幡から白鳥に帰宅してくる間に、やっぱりだんだん涼しくなるって感じるね。あツ エアパス効いてるよ、ホント家ん中入ったとき全然むっとこないし、ほんと過ごしやすいわ。ボクは大阪生まれだから、これくらいの暑さなんてほんとなんでもないくらい。
さてと、工作がんばってくださいね。それからOB感謝祭でも木工教室あるからね。またお会いしましょう。

大型リフォーム中のトンコさんはおふくろの味の達人、いえプロです。大和道の駅の安久里というお店をやっていらっしゃる。
その彼女のリフォームが始まった6月ころ、友人でもあるうちの社長は行くたびにおいしいものをもらって来ました。まず「きゃらぶき」。食べる。う~ん旨い。絶妙の塩加減とフキの苦味がなんともいえない。次にもらって来たのが「梅干」。これも旨い。自然のいい~味がするのです。その次にもらって来たのが青梅約4キロ。これは見習って張り切って作るしかない。というので出来たのが梅焼酎4リットル。今私が毎夜オンザロックで飲んでいますが、これが、うま~い!!。そして写真にあるのが梅干の土用干しです。今年は土用ころは天気が悪くようやく7月の終わり頃三日三晩干しました。今年は美味しい梅干にありつけるぞーと満足満足。トンコさんのおかげ、ありがとう。
さて、リフォームも順調に進んでいるらしい。今日も現場に行くと暑い、熱い中3人の大工さんがビショビショになりながらがんばっていました。

もうすぐお盆ですね。皆さん田舎に里帰りしますか?。
お盆の頃神社の境内にはよくさるすべりの赤桃色の花が咲いていますね。
我が家のは白色で少しめずらしいかも。毎年長く咲いて楽しませてくれます。昨年の大雪で幹が裂けるくらいに痛めつけられたのですが、切った枝のところから新しい枝が伸びて見事に復活してくれました。うれしい気持ちでいっぱいになります。夏真っ盛りの青い空にすっきりと映えています。
さてさて、お盆まであと数日。よく働いて、お盆には子供たちや孫たちを大歓迎しようと今から楽しみにしています。

明日は営業の伊藤のお客様で春日井市のF様ご一家が、「ひだまりのふるさと郡上見学コース」(本社工場・天然乾燥材・プレカット工場などの見学)にいらっしゃるというので、あわてて
事務所のガラスふきをしていました。
と、いつもは気にしていない「こども110番の家」が眼にはいりました。古いのと新しいのとご丁寧に2枚並べて貼ってあります。今までこの110番にかけこんできた子はおかげさまでいませんので、白鳥はまだまだ安全なところなのでしょうね。いつも事務所の前を登下校する子たち、この夏休みも元気でいこうね!
F様、お待ちいたしております。

事務所の裏手に栗の木があります。
みるともう青い小さなイガをつけていましたあと一ヶ月もすると実を落とします。
さて、自己紹介の後半です。大学を出てから現在までを振り返ってみました。
大学卒業後一般企業に就職し広告宣伝部に配属されましたが、もっとやりがいがある職場を求めて0歳児から預かる共同保育所に移りました。子供たちの可愛い姿とともに、今も印象に残っているのは、当時女性が働く環境の厳しい中にあってがんばる先輩お母さん達のたくましい姿でした。また、それを支える素敵なお父さんもいっぱいいました。私自身も2人の子供をそこに預けて働き、このときも運営は厳しかったけれど仲間でがんばる楽しさをたっぷり経験し、様々なことを学びました。
その後夫の実家にもどることになり鷲見製材の一員としてスタートしました。
このころの会社は法人にしたもののとても牧歌的で、経理の仕事に移ったあともあまり苦労することもなく、平安な楽しいPTAと地域活動に専念できた時期でした。大家族を切盛りし4人の子供を育てながら、多くの地域のお母さんたちと映画会や秋田のわらび座公演を7回も成功させたり、地域の中学生を組織して「こどもまつり」を10年間続けました。そしていつも夫とともにその中心にいたように思います。こうして振り返ってみると、自分がどんなことでも仲間といっしょに創りあげていくことがいかに大好きかということがわかります。
3人目が保育園に上がったのを契機に製材工場で働き始めましたが、このことが非常に役立っていることを今でも強く感じています。それは、製材の現場仕事の流れが良くわかったこと、段取りがわかってそのような動きが必要であれば自然に出来るようにつまり現場人間派になったこと、そして現場の苦労や、なかなか変化が出来ない環境だということなどを経験をとおしてつかみました。
1990年頃から時代の波は会社にも変化を余儀なくしましたが、神社仏閣用材専門製材としては県下では指折りの工場に成長していきました。
今でこそエクセルなどがありますが、当時はオフコンを導入し生産ソフトを創ってもらったりしながら効率よく工場を動かす責任者的立場で、義父には「おまえは赤半纏(番頭)だな」とよくいわれたものです。
またこの後も長良川ウッド協同組合の立ち上げや運営にどれだけの力が注がれていったか判らないほどの激動の時を迎えましたが、まだ40代でしたから元気も良く、精神的にも前を向いて対処していくことができました。
その後鷲見製材は住宅事業部を立ち上げて若い力を得て現在の形に移っていきます。
職務上でこの頃はじめて中小企業大学で財務関係や・コンピテンシーなどの講座を受けることができ、実際はじめて「経営」というものの一端にふれたと思いました。
この中で他の立派な企業の部長クラスの方々と机を並べて学習しその話から学ぶものがたくさんあり、考えかたを変えなければいけないと感じたものです。
また自分の能力についても確認できる良い機会となってそれなりの自信も持つこともできました。ここで学ばなければ私の会社人生は牧歌的でしかなかったろうと今でも思っています。
ひだまりほーむも現在では人材もそろいつつあり次のステージを迎えつつあります。その時を一日も早く迎えられるよう微力ながらもう少しやってみようと思っています。
以上長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。
さて明日からは工場のことやスタッフを紹介していきます。もちろん郡上のことも・・・
郡上日記「雨のち晴れ」というタイトルをいただいて、ちょっと緊張、そしてちょっとうれしいです。これからひだまりほーむの本社工場がある郡上の自然や人々や出来事などを綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
今日は自己紹介。その前半・・・
生まれた実家は郡上の山奥の村で一軒しかない酒屋でした。当時の店はなんでも屋ですので、人の出入りは多くてにぎやかで楽しかった子供時代でした。商売は母が、父は森林組合の参事、祖父母が山仕事をして生計を立てていました。昔のことです、身を粉にして働く祖父母や父母の姿を毎日見ながら育ちましたから、自然にがんばる体質が身につきました。
小学校の高学年までは祖父母について休みの日はいつも山仕事の手伝いにいきました。子供とはいえ炭焼きのコバ刈りや窯出しなど一生懸命に手伝い、お昼ごはんを炭焼き小屋の囲炉裏端で食べながら、ようがんばったなあと褒めてもらえるのがなによりうれしかったものです。
手入れのゆきとどいた林は陽が差し込んで明るく、また山がくれる実り栗・あけび・わらびなど楽しみもいっぱいあって子供が充分に一日中遊んでいられるのでした。今でも山が大好きなのはこの頃の経験なのでしょう。
中学校では毎年全校いっせいの下刈作業がありました。その日は朝早く、自転車に弁当のおにぎりと下刈用の長鎌をつけて10キロ程の山までの道を、皆んなで吹っ飛ばしていくのが本当に楽しかったものです。
見渡す限りの全山が村有林である山を、100名以上が一列になって下草を刈っていくと、みるみる山の色が変わっていき壮観なものです。引率の管理人のおじいさんが村有林の話をしてくれ、先祖から受け継いだ大切なものだから君ら頼むよというような話を、刈ったばかりの草いきれの中で静かに聴きました。年に一回の下刈作業は大変苦しいものでしたが、それ以上に共同してやり遂げるうれしさは何ものにも変えがたく大切な思い出です。今では考えられないかもしれませんが、その全校アルバイトで教材をそろえていくのが私達の中学校時代では当たり前のことでした。
以上が、私の山と木に係わる原点ともいうべき体験です。つづきは明日UPします。